高野雀「あたらしいひふ」:自分にないものを持つ人を羨みつつ、そんな自分も誰かに羨まれている

fujiokashinya
Sep 16, 2019

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高野雀の漫画「あたらしいひふ」は、2013年頃に同人誌に掲載された漫画です。2015年に『さよならガールフレンド』という単行本の特設サイトで「あたらしいひふ」が全編公開され、僕はそこで読みました。2017年に「あたらしいひふ」を表題作として、同様に同人誌で発表されていた作品を集めた単行本が刊行されました。「あたらしいひふ」を含めてほとんどの作品で絵が描きなおされ、台詞も一部修正されています。

「隣の芝生は青い」とは、よく言います。他人が持っているものはいいものに見えやすいし、いつだって理想と現実にはギャップがある。ただ、そうしたずれをいくつも集めてパズルのように組み合わせてみると、ちょっと不思議な世界が浮かび上がります。「あたらしいひふ」に描かれているのは、そんな世界です。自分にないものを持つ人を羨みつつ、そんな自分も誰かに羨まれている。自分にとっては不本意だったり、身を守るためにやっていることが、外側から見れば魅力的で賞賛すべきものと受け止められる。自分で感じるコンプレックスが他人から見るとそうでもない、というのはよくあることです。

変わりたいと思う気持ちは皆あれど、それが実際の行動に結びつくのかどうか、最終的にどのように折り合いをつけるか。千差万別です。自分の置かれた環境で、それを受け入れたり、あるいは争ったりしつつ、一方では自分にはないものを求めてもいる。言葉に出さなくても、例えば誰かの服装を、思わず目で追ってしまう。そこに自分にはないものを見つけ、少し羨む。「あたらしいひふ」では、四人の過去の出来事から現在の姿、そして自分の少し前を歩くものを描きます。四つの世界は巧みなストーリーテリングによって少しずつ重なり合い、心地好い読後感が残ります。

高野雀が描く物語は、登場人物の表と裏が描かれるときの「間」や「余白」が特徴的です。音のない世界にぽんと放り出されたかのような、純度の高い静寂。「あたらしいひふ」を読んでいると、そういう不思議で奇妙で興味深い瞬間が何度も訪れます。

作中に「どうしてみんなそんなかっこわるくて平気なの」という台詞が登場し、初めて読んだ際、強く印象に残りました。ある女性の高校時代。セーラー服を規則どおりに着ることに何の意味も見出せず、苛立ち、規則を受け入れる同級生に対して胸の奥で毒づきます。教師からは注意されるし、同級生とは分かち合えない。「どうしてみんなそんなかっこわるくて平気なの」と。

ところが、彼女はショー・ウィンドウ越しに、見たことのない服と出会います。試着した瞬間に登場する「世界は一瞬で変わる」という言葉や、その瞬間に浮かんだ表情が鮮烈な印象を残します。それを契機として、自分にとって普通ではない服を選び、着ることが彼女の行動原理になっていきます。

学生の時期を過ぎて働くようになってからも、彼女は他人と異なる趣向の服を着ていますが、世間受けするような服装をした女性に出会い、ふと考え込みます。目の前の女性は、自分が格好悪いと思って避けてきた系統の服をさらりと着こなしている。そして相手から「自分は無難な服しか持っていない」と聞いて、困惑の度合いは一層高まります。無難だと分かっていながら何故着られるのか、何故似合うのか。学生時代とは異なる次元で、似たような問いを突きつけられます。

服に興味がある人も、それほどない人も、おもしろく読める漫画です。服に対する考え方がそれぞれ異なるので、どこかしら自らに重なり、そこから物語の中に潜り込めるのではないかと思います。

そこかしこに散りばめられたコミカルなタッチの表情に、思わず気持ちが和みます。じっくり考えたい人も、軽快なテンポを楽しみたい人も、流れるように進む物語に身を任せて、リズムに乗ってページをめくっていきましょう。最後のページまで余すところなく楽しめます。

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Written by fujiokashinya

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