あいちトリエンナーレ2019 情の時代 AICHI TRIENNALE 2019: Taming Y/Our Passion [PART2]
2019年8月から愛知県で開かれている「あいちトリエンナーレ2019」のテーマは「情の時代」です。英語では “Taming Y/Our Passion”。“tame” には「飼い慣らす」や「制御する」という意味があります。何かに接したときに湧き上がる気持ちや感情。それらに振り回されることが多い中で、それらをコントロールすることの必要性についてさまざまな角度から問いかける…ということでしょうか。
Ugo Rondinoneの「vocabulary of solitude(孤独のボキャブラリー)」は、目を閉じたピエロが広い部屋のあちこちで座り込んだり寝転んだりしている、インパクトの強いインスタレーションです。ファインダーを覗き込むたびに、そこに映る表情と姿勢の奥に潜むものを想像していました。笑顔を消して動かなくなったピエロは、自らのアイデンティティを否定してまで何を思う。
芸術に限らず「表現」は社会や政治と無関係なのか。無関係であってほしいと願う人の気持ちは理解できますが、鑑賞する人が増えるほど、作品は作者の手から離れて遠くにいくものです。作者が政治的な意図を込めずとも、鑑賞者が政治的な要素を感じることはあるし、その逆もあり得ます。昨今は「分断」が顕著になって加速していますが、その分断の中にピエロたちは存在しているのだ…などと文脈を勝手に加えてみると、社会的、政治的な色彩を帯びます。政治性をもたないものは、この世に存在しないとも言えるのではないでしょうか。
そして、あいちトリエンナーレ2019に行くきっかけとなったのが「表現の不自由展・その後」です。多くの人がニュースで知ったとは思いますが、抗議が多くの脅迫電話やテロの仄めかしにまでエスカレートし、展示中止に追い込まれた企画です。そこにいくためのドアは封鎖され、ドアや周囲の壁には数多の付箋が貼られていました。付箋には、ここに来た人々が受けた差別や不自由などが綴られています。
この企画は、ある種の人々の暴力性を解き放つ装置となってしまいました。その恐怖にさらされ続けたスタッフの苦痛と苦労は察するに余りあります。「この出来事も含めてアート」などとはいえないものの、「なかったことにする」こともできません。過去に「組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった」作品が暴力によって黙らされたという事実は、どれだけ時間が経とうとも、この問題が残り続けることを示しました。作品が排除されても、そして最後まで展示再開が叶わなかったとしても、それらが問うものは消えるわけではないのでしょう。