植田正治・金子隆一『植田正治 私の写真作法』:ファインダーに潜む「写真する幸せ」と向かい合う

fujiokashinya
May 19, 2020

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2013年12月、Eテレの「日曜美術館」で写真家植田正治が特集されました。その存在を初めて知ったのと同時に、徹底的に演出され、作為的なものが堂々と埋め込まれた写真に惹かれました。代表的なシリーズ「砂丘モード」は、白い砂の上で人間の姿が黒く浮かび上がる写真です。それは絵筆で描いた世界のようにも見え、現実感が塗りつぶされたフィクションとして目に飛び込んできます。

「日曜美術館」では、司会の井浦新が鳥取砂丘を訪れ、「砂丘モード」の一枚を再現する様子が流れました。写真の中の彼は、タキシードでびしっと決めながら面を被り、頭上にはシルクハットがぽつんと浮かんでいます。オリジナルと同じ格好、同じポーズ、そして同じ演出で撮影された一枚です。植田正治の人生や撮影技法を知ることで、彼の写真がさらに魅力的に見えてきました。

この放送に触発されて、「生誕100年!植田正治のつくりかた」展を観るため、東京ステーションギャラリーに足を運びました。彼のモノクロームの写真世界にくぎ付けになったことを覚えています。中でも、子供が狐の面を被り、ひょいと飛び跳ねる瞬間をとらえた「小狐登場」という作品に引きつけられました。小狐の背後に広がるのは怪しげな暗雲。それでいながら小狐の様子はコミカルで、恐怖を煽るというよりは、間違って飛び出したかのようです。誰かを驚かせようと待ち伏せていたら、物音か何かに驚いて思わず飛び上がったのかもしれません。

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展覧会を観た後、『植田正治 私の写真作法』という書籍を買い求めました。植田正治が雑誌に寄稿していたエッセイを、写真史家である金子隆一が編集してまとめたものです(1999年に刊行、および翌年に改題して刊行)。写真やカメラに対する植田正治の思い、考えが綴られています。それこそ写真を撮るように、写真家としての自らの一部を切り取り、そこから読者は彼の世界を覗くことができます。

なかでも印象的だったのが、「ファインダーは心の窓」という小見出しを付けたセクションです(初出は『アサヒカメラ』の1974年7月号)。彼は、自然と向き合っているときは「私は私だけの世界に佇むことができる」とし、さらに人物を撮影するときには、ファインダーの中で対話できることを喜びます。その一節が心に残りました。

裸眼レンズから目をはずすまでは、私だけの世界で、話ができるなんて、写真する幸せみたいなものがファインダーの中に棲みこんでいるということを、いまさらのように実感として感じるようになりました。
植田正治

植田正治・金子隆一『植田正治 私の写真作法』(阪急コミュニケーションズ)p. 234

彼の作品は芸術性も大衆性も持ち合わせており、プロフェッショナルであることは論を俟ちません。けれどもカメラを構えてファインダーを覗くときは、ごく個人的な幸せに満ちていたというわけです。ファインダーの中に潜む「写真する幸せ」は、プロアマを問わず、すべての写真愛好家に共通するのでしょう。かくいう僕もPENTAXを通して、ささやかな「写真する幸せ」に触れているひとりです。ファインダーを覗くと、世界はぎゅっと絞られ、被写体との言葉なき対話が始まります。

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