梨木香歩『家守綺譚』:朧気になる境目、自然と幻想の世界に誘う筆致
月に十冊も二十冊も小説を読む読書家に出会うと驚き、かつ尊敬します。僕も読書家の端くれですが、気に入った小説を何度も読み返す傾向にあり、あまり多読とはいえません。代わりにというべきか、細部を覚えるほどに繰り返し読み込みます。そうして記憶に降り積もった言葉は、ふとしたときに脳裏をよぎり、絵や映像として目の前に映し出されます。
幾度となく書棚から手に取り、飽きることなく頁を繰った小説を一覧にするなら、梨木香歩の『家守綺譚』も名を連ねます。友人から借りて初めて読んだとき、小説というよりは随筆のように感じました。だから比較的軽く読めるだろうと思ったものです。しかし自分で購入して再読を重ねるうちに、軽妙な語り口の文章のなかに、濃密で深みのある物語が広がっていることに気付きました。
時代は明治の後半でしょうか。物書きで生計を立てる「綿貫征四郎」の語りが、移ろう季節と物語を綴ります。意思を持つかのような植物、あちらこちらで痕跡を残す妖怪たち、主人公より頼もしい犬、山寺の和尚、赤い花の咲く庭の家に住む娘、湖で行方不明になったがやおら「還ってきた」友人。描かれるのは境界線が曖昧な世界です。綿貫も、読み手である僕らも、物語を取り巻く自然、妖怪や超常現象が織りなす幻想のなかに組み込まれます。
他の小説と同じように再読している『家守綺譚』ですが、なぜか細かい部分の記憶はいつも曖昧です。境目を朧気にして綴る小説世界だからかもしれません。読み返すたびに新しい出会いが訪れ、少しずつ違う風景を心の中で描きます。現実的な描写も、見えないはずの怪異も、そして記憶さえも渾然一体となって、自分だけの世界が拡がります。