寺澤盾『英語の歴史 過去から未来への物語』:英語の来し方をたどる旅、ブリテン島で混淆した言葉の記憶
歴史が好きなためか物事を遡ることに興味があり、そのうちのひとつが語源(etymology)です。特に好きなのが英語の語源で、寺澤盾が著した『英語の歴史 過去から未来への物語』からは興味深い示唆を得ました。英語のルーツを語彙や発音の点から概観し、行く末を考察する新書です。
英語史のフェーズは、5~12世紀の古英語、15世紀までの中英語、19世紀までの近代英語、そして現代の英語に分かれます。源流に向かうほどに現代のスペルとの違いは大きくなり、今では使われない意味や文字もありました。発音とスペルの乖離にも多様な過程が存在します。
強い関心を持っているのが語彙の変化です。英語における語彙の拡大過程はダイナミックで、ブリテン島の歴史に重なります。英語のもとになった言葉の話者は、一部のゲルマン民族(アングル、サクソン、ジュート、フリジア)でした。現在のデンマーク、ドイツ、オランダの沿岸に住むこれらの部族が、かの有名な大移動によってブリテン島に渡ったのが5世紀あたり。この出来事をもって、英語の歴史が始まります。
6世紀末にキリスト教の布教が始まると、ラテン語聖書を通じて教会用語のラテン語が英語に加わりました(例:angel、candle、monk)。加えて、ブリテン島に渡る前にローマの文化と接触してラテン語から取り入れた言葉もあります(例:butter、cheese、wine)。他方で、先住のケルト民族の言葉が地名に残ったケースも見られ、最も有名なのはLondonでしょう。Londinos(剛勇の者)というケルトの人名・部族名に由来します。Thames(テムズ川)やAvon(エイヴォン川)も同じくケルト語に由来していて、原義は前者が「薄黒い川」で後者は単なる「川」とのこと。
以降は、侵入、支配、遠征といった外部との交流を通じて、相手の言葉が英語に加わります。すなわち、8~11世紀に北欧のデーン人がもたらした古ノルド語(例:want、knife、Thursday)や、11世紀半ばからノルマン王朝に支配されることで大量に流入した古フランス語(例:coat、onion、beef)の影響です。また、11世紀末に始まった十字軍を介してイスラム世界からアラビア語(例:alcohol、lemon、sugar)を、16世紀以降は古典研究を通してラテン語やギリシア語(例:secure、cube、system)を取り込みました。その後も世界中の言葉が英語に加わります。
遠い昔のスペルの痕跡を今の言葉に見出すのも語源を知る楽しみです。化石の発掘に近いかもしれません。例えばdaisy(雛菊)は、古英語ではdæges-ēage(日あるいは昼の眼、すなわち太陽の意)という複合語で表現されました(当時の「光」と「器」を表わす言葉を組み合わせてランプという概念を表現したように、古英語では複合語が多く作られた)。昼に咲き、花の形が太陽に似ていることにちなんでいます。
やがて中英語でdayesyeやdaies eieといった形に変化し、現代に至ってdaisyとなりましたが、言われなければ起点も過程も推察できません。けれども分かったうえで眺めると、daisyからdayとeyeの痕跡が浮かび上がります。別の言葉に置き換わることなく(先述の「光の器」はlampに取って代わられた)、元の言葉が変化して今に至る。時間という風雪に耐え、言葉が旅してきた道のりに思いを馳せる――語源探索の醍醐味です。
参考:
寺澤盾『英語の歴史 過去から未来への物語』(中央公論新社, 2008年)
寺澤芳雄(編)『英語語源辞典(縮刷版)』(研究社, 2015年, 第7刷)